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筆跡鑑定人日記−15
筆跡鑑定人 根本 寛
このコーナーに書くのは、事実に基づく、筆跡鑑定人の「独り言」 のようなものです。 お気軽にお付き合いいただければ幸いです。 ただし、プライバシー保護のため、マスコミ報道された内容は別にして、固有名詞 は原則的に仮名にし、内容によってはシチュエーションも最小限の調整をしていることをご了解ください。
塩尻市男女変死事件
心中と見られていたが「他殺」との判決 某テレビ局の依頼で塩尻市男女変死事件の筆跡鑑定をした。この事件は07年1月に新聞・テレビ等で大きく報道されたのでご記憶の方もいらっしゃるだろう。 02年10月、長野県塩尻市で燃えた乗用車から交際中の男女の遺体が見つかった事件があり、男性の母親が生命保険会社に保険金3,500万円の支払いを求めていた。この判決で裁判長は「自殺する動機は見当たらず第三者による他殺と認められる」として保険金の支払いを命じた。訴えていたのは、塩尻市の会社員酒井宏樹さん(当時24歳)の母親。県警は、「心中」と見ていたが、今は自殺・他殺の両面から捜査を進めているとのことである。
犯人逮捕の決め手は筆跡鑑定か 他殺となれば殺人犯がいることになるが、事件当時隣に住んでいたM氏が疑われている。事件の当日酒井さんの部屋にメモが残されており、この書き手が犯人と目され、メモとM氏の手紙の筆跡が一致するか否かが鍵を握っていとされている。これに関して、母親はテレビで、県警からは「筆跡鑑定をした結果、同一人の筆跡である」と聞かされていると話した。テレビ局から私に依頼があったのはこの鑑定である。 このメモと手紙は提供者の都合で露出できない。申し訳ないが私の「模写」で理解していただきたい。
私の鑑定では別人の可能性が高い 手紙とメモには同じ文字が一字も無く、筆跡鑑定としては難しいほうである。仕方がないので部分的に一致する文字で調べた。まず手紙から「申」、メモから「車」の文字を取り上げた。「申」「車」には共通する箇所があるので、そこで鑑定できるのである。 両方とも二字づつあるので鑑定の信頼性は高い。鑑定では一字しかないのと複数文字があるのでは信頼性がまるで違う。一字しかないと、ある筆跡特徴があったとしても、それが「たまたまの書き方」なのか「安定した筆跡個性」なのかの区別がつかない。筆跡鑑定は安定した筆跡個性を発見するのが基本なので、複数の文字があることは極めて助かるのである。 「車」の文字は手紙、メモの両方とも、二字で見ても筆跡個性の混乱が無いことから、作為の形跡はなくそれぞれの筆跡個性がそのまま出ているものと想定できる。 第一に「縦線」が上に突出する程度は両方とも同じレベルである(a)。縦線が上に突出いる形は、「長い人」「短かい人」とほぼ安定して表れるものだが、これは両者とも似たような長さで違いはない。第二に、「日」の文字の右上の角(転折部と呼ぶ)の形は似ているが、緻密に見ればメモのほうが丸みが大きくなる(b)。このような箇所も人により「丸くなる」「角張る」と、安定して表れやすい。 第三に、M氏は「日」の字の第一画縦線から第二画の横線へと続ける運筆であるが、メモはそれぞれ独立した形に書かれる(c)。以上の筆跡特徴は、二字とも同じパターンになっていることから見て、同一人の筆跡とは考えにくい。
「ウかんむり」の運筆が大きく異なる 次にM氏の手紙には「容」の文字が二つあり、疑惑のメモには「客」の文字が三つあるので、共通する「ウかんむり」で調査した。 第一に、M氏の文字は第三画の転折部が尖った形になるの対して、メモは丸みを帯びて異なっている(d)。 第二の違いは劇的である(e)。M氏の「容」の文字では、第二画が右上から左下に向かう運筆である。つまり、M氏の第二画は「右に傾いた形」である。これは、書道的には見ると正しい角度といえる。 それに対してメモの方は、同じ部分が左上から右下に向かう正反対の角度である。つまり「左傾」している。 この違いは大きい。手紙とメモでは運筆がまったく逆になる。運筆というのは、手の動かし方のため、狂いやすい「線の長さ」などと異なり安定性が高いので信頼できるのである。 さらにfで指摘した「点の形」も、手紙とメモでは明らかに異なっている。 最後に、運筆の技量から見ると、M氏の筆跡に較べて較べてメモのほうが全体的にスムーズである。文字は書くときの条件である程度の違いは出るが、そのレベルを超えた違いが感じられる。 以上、取り上げた2字の違いから見て、同一人の筆跡と見るのは困難で、私は別人の可能性が高いと判断するが真実の解明が待たれるところである。いずれにせよ、心中から他殺へと踏み込んだのはよいとして、冤罪は作らないようにしていただきたいと切に願う次第である。 (平成19年2月)
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