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- 筆跡鑑定人ブログ−47
- 筆跡鑑定人 根本 寛
- このコーナーに書くのは、事実に基づく、筆跡鑑定人の「独り言」のようなものです。お気軽にお付き合いいただければ幸いです。
ただし、プライバシー保護のため固有名詞は原則的に仮名にし、内容によってはシチエーションも、特定できないよう最小限の調整をしている場合もあることをご了解ください。
- 誠実な法曹界の方々にお伝えしたい(22-6-14)
- GWに飛び込んできた悲痛なメール
- ゴールデンウイークまっただ中の5月4日。習慣になっているメールチェックをしたら「筆跡鑑定について」という件名が目に飛び込んできた。吉田喜美恵(仮名)さんという女性からのものである。
メールの出だしは「すごく納得しました。裁判当初から早く根本先生と出会えていればと思いました。」とある。一瞬、「えっ! 記憶にない名前だが……」と考えた。鑑定をした相手から「納得しました」等の感想を聞くことが多いからだ。
しかし、続いて「私は、現在、遺言書無効で控訴審中のものです」とある。そうか、私が鑑定をした人ではないんだなと納得しその先を読んだ。非常に気の毒な体験が綴られている。長いメールなので要約するとつぎのような内容だった。(太字が吉田さんの文章)
一審で相手は鑑定書を二通出してきました。対照資料の一部に別人の筆跡を使って、全て一致するとしていました。この誤りを弁護士に言っていたのに、弁護士は勝手に真筆だと認めてしまったため、その二通の鑑定書は有効とされてしまいました。
私は、別の鑑定人に、本人の手紙を対照資料にして鑑定を依頼しました。結果は、遺言書は本人の筆跡ではない、偽造であるとの結果でした。鑑定が分かれたので、裁判所の指導で、新たに鑑定人を選び鑑定をしてもらうことになりました。
- 裁判所の指定する鑑定人のでたらめ
- 私としては、誰もが別人の筆跡だといってくれますし、裁判所の指定する鑑定人なら中立だろうと安心していました。しかし、その鑑定も無茶苦茶でした。明らかに似ていない文字をわざわざ探して比較したり、更には、一部に別人の対照資料を使い、結果は全て「同一人の筆跡」というものでした。
私は驚いて、あちこちに問い合わせをして、相手が使った別人の対照資料は、郵便局員が記載する部分であるとの郵便局の回答を貰い、それを裁判所に提出しました。そして、郵便局員の筆跡まで遺言者の筆跡と一致するとした筆跡鑑定など信用ならないと主張しました。
しかし、一審判決は、裁判所の指定した鑑定人の鑑定を重視して敗訴してしまいました。こちらの弁護士は、何とその鑑定を認めていたということでした。また、私の詰問に「本人の筆跡ではないとまでは言えない」とのことで、弁護士のミスですが非常にショックでした。
控訴審の現在は、著名な鑑定人に私どもの主張に合致する鑑定書を作っていただいて提出していますが、一審で負けていることであり、厳しい結果になるのではと案じています。五月の中旬に最後の公判があります。もっと早く先生を知っていたらと思うと……。もう鑑定費用だけでも何百万と払っています。残念です。
……となっている。私は、念のため、GW明けにでも資料をいただければ、鑑定書をその公判に間に合わせられると返事をした。費用は半額程度でもかまわない、ただ、弁護士さんの意見を聞く必要があると伝えた。気の毒な状況を見捨ててはおけないと思ったからだ。また、一人よりは、二人の鑑定人の鑑定があるほうが強いことは間違いないからだ。

- また、現在取り掛っている鑑定を先に回せば調整できないことはないからである。そして、気になっていた「納得した」とは何のことかと尋ねた。
再度メールがきて、私の返事に対するお礼と同時に、一審からの何通もの鑑定費用、弁護士費用、その他の費用で莫大なお金がかかった。もう先生にお願いする費用がないのです。そして、何よりももう時間が無いのです……とのことである。
確かに新しい鑑定書を用意していることでもあり、私としてもそれ以上強くは勧められない。納得したとは何のことだという私の質問には、「鑑定人に力量がないのか、それとも正確に鑑定できるのをあえてしないのか、裁判所で指定した鑑定人が中立であるとは限らないということを心から納得したのです」と結んでいる。
- 誠実な法曹人として深く受け止めてほしい
- 今回の吉田喜美恵さんのような言い分には、熱心に職務に取り組んでいる裁判官や弁護士さんには面白くないだろう。しかし、社会の信託を受けている立場として、このような市民の言い分にも虚心に耳を傾けてほしいのである。
私は、このケースで一審を担当した弁護士さんが否定的であること、また、依頼者によっては、一方的な思い込みに固執することもあること、などから断定は難しいと思っているが、吉田喜美恵さんの言い分には明らかに一理ありと信ずるのである。それは、全体として、私が年に6回程度は作成する、裁判所指定鑑定人の鑑定書への反論と要点がよく似ているからだ。
これを読んでいる弁護士さんの中には、裁判所の鑑定人リストから選んだ鑑定人の鑑定書が、非科学的で驚愕された方がいらっしゃるかも知れない。それどころか、そのような鑑定書に苦汁をなめさせられた経験者もいらっしゃるかも知れない。
それらの非科学的鑑定の手口は、鑑定に当たって「始めに結論ありき」であり、その結論に都合のよい対照資料や文字を選んで使うことが多いということである。また、対照文字が例えば10文字あっても、都合のよい文字3〜4文字だけを使うという手口が多い。
神戸大学の魚住教授は、京都の「一澤帆布遺言書事件」の逆転判決を勝ち取った功労者であるが、誤った警察出身者の鑑定について、例えば「下」という文字について、20字もあるのに主張に合致する文字だけを選んで使っている、まことに非科学的であると強く非難されている。
このような手口には、私もしばしば直面している。吉田喜美恵さんの批判は、私の経験にも魚住教授の経験にも酷似している。また、よほど内容を把握していないとここまでは言えないと、その論理に納得出来るものがあるからである。
前にも書いたが、このように状況に追い込まれた当事者の中には、極めて鋭い感覚を示す人が少なくない。罠に掛った獣が必死に脱出口を模索するように動物的な勘が研ぎ澄まされるのだろう。身内が書いた筆跡か否かなど明確に理解していることが少なくない。ただ、それを他人が納得できるように説明できないだけなのである。
裁判官も弁護士も、難しい司法試験に合格した優秀な方々であることはいうまでもない。しかし、私の経験では、そのような方々が比較的容易な筆跡の異同を理解できないことも、また結構あるのである。誤解を恐れずにいうなら、それは「罠に掛った獣のような、死に物狂いの立場ではないからだ」と私は思っている。
私は、筆跡鑑定人としてホームページを用意し、このようなブログも書き、あるいは弁護士さんとの研究会を行って積極的に広報活動をしている。それは、今回の吉田喜美恵さんのような悲劇を減らしたいからである。しかし、まだまだ浸透してはいない。吉田喜美恵さんの悲痛な叫びは私の苦痛でもある。
同時に、吉田喜美恵さんに非難された裁判官や弁護士さんも同じ人間である。済んだことだと高をくくってばかりもいられないだろう。
「誰よりも自分をうまく自分を騙せる者が、誰よりも楽しく暮らせるってわけですよ」とは、『罪と罰』の「悪党」スヴィリガイロフの台詞である。 確かに、卑劣なことをしても、「あれは仕方なかった」と考え、内面から聞こえてくる良心の心を欺くことができれば思い悩むことはないだろう。
しかし、司法に携わる方々がそんな、不誠実な人たちばかりの筈がない。長い間には、心の底に欺ききれない澱が蓄積するのではないだろうか。そのような、裁判官や弁護士さんの苦しみも大変残念なことである。
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