| (『カードック』04年9月号より) |
| [社長が決断するとき・第8回 |
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好調な中にこそ危機が潜む・・ピンチを救った執念とアイディア |
| 産業構造転換の嵐が吹き荒れている。ここ二年は、業歴三十年以上の老舗企業の倒産が倒産全体の三割近くになっている。かって無かったことである。転換期には得意先の倒産など突然の突風に翻弄されることも少なくない。そんな困難を乗り切った先達の経験に学ぶことは、リスクマネジメントの面から今こそ必要だ。先達の生々しい経験をお伝えしたい。 | |
| 上野食品鰍ヘ、昭和十六年に現社長の父が創業。東京都品川区に所在するカップ味噌汁や釜飯セットなどを得意とする食品メーカー。現在、従業員四五名(パート含む)、年商十二億、ここ数年良い営業成績を上げている。 二代目の現社長・上野俊夫(以下敬称略)は、父が創業した味噌問屋を昭和四〇年に引き継いだ。しかしその経営の軌跡は、二代目というイメージとは程遠い激動に満ちたものだ。手形のパクリにもあった。取り付け騒ぎにも巻き込まれた。売り上げの激減もあった。上野はそのつど、己を叱咤して乗り越えてきた。その頑張りは並ではない。 |
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| ■大学卒業の日、先代が交通事故死で突然の社長就任 | |
| 昭和三七年ごろ、上野食品(当時は上野商店)は、東京で六十軒もあった味噌問屋の十指に入る勢いだった。やり手の父親は、銀行から相当な金を借りて三階建ての自社ビルを建てた。そして、その二年四ヶ月後に交通事故で亡くなったのだ。その日は上野の大学卒業のまさにその日だった。 「検視が済んで家に運ばれてきた父の遺体はまだ温かつた。母や妹、弟は父にしがみついて泣き崩れていました。それまで家業を継ぐ気はなかったのですが、それを見て自分が頑張るしかないと決意しました」 事業を引き継いだのはよかったが、あけてびっくり、借金が一億円もあり返済金が今の金にして月に数百万もあった。上野の社会人第一歩は、社長として大波浪の中への船出であった。 |
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| ■将来を予測しメーカーへ転身 | |
| 資金繰りに追われながらも上野は考えた。それは、味噌メーカーが大型化し、川下ではスーパーチェーンが大型化するなど、流通事情が刻々と変化している中で、果たして問屋がこれからも流通の主導権を握っていけるだろうかということだ。 「当時六十社もあった味噌問屋は、将来は十社程度になるだろうと思いました。同時に価格支配権を失ってジリ貧になっていくだろうと予測しました」。確かに現在、上野の予測どおりになっている そこで上野は、問屋からメーカーへと転換することにした。メーカーならば、独自商品を持ち、価格決定権を保持して利益も確保できる。そこで昭和四八年、長野県の味噌工場と資本提携して味噌漬物のメーカーに転身した。 |
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| ■インスタント味噌汁・スタンカップの大ヒット | |
| つぎに、当時「ほっかほっか亭」など持ち帰り弁当が伸びていくのを見て、いつでも手軽に飲めるインスタントの味噌汁が伸びるはずだと考えた。そこから生まれたのが、一世を風靡したインスタントのカップ入り味噌汁「スタンカップ」だった。これは、カップに味噌と具が入っていて、お湯を注ぐだけでどこでも美味しい味噌汁が味わえるという、当時としては画期的なものであつた。スタンカップは、持ち帰り弁当を皮切りに、スーパー、コンビニエンス・ストアなど次々に販売ルートを拡大し、凄い勢いで伸びた。 こうして昭和五三年の発売後七年間は猛烈に伸び年商五億までいった。しかし昭和六〇年から落ち込み始め、十年後の平成七年には売り上げは半分になった。 理由は、伸びを見てハナマルキ、マルコメといった大手がわれもわれもと参入してきたことにある。上野は、スーパー、コンビニからは撤退戦略を取った。 「スーパー、コンビニは、量販商品のメインルート、大量生産・大量販売・コスト競争の世界です。弱小メーカーが戦う場ではないと思ったのです。頑張るほど傷が深くなる。そこで、撤退に踏み切りました」。この決断は正しかったと思う。しかし、上野はこの後の三年間、思いもしなかったピンチに陥ることになる。 |
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| ■ピンチの中でチャンスをつかむ | |
| 小メーカーとしては、企画力で勝負するしかないことを知っている上野は、その後、「ウーロン茶のティバック」、「フリーズドライの玉子スープ」など次々と新商品を開発したが、いずれも少し売れ始めると、大手が参入して伸びる芽をつまれてしまった。 「平成六年から八年にかけての三年間は参りました。やることなすことみんな裏目に出て・・・・。やはりスタンカップの好調さの陰で油断があったんですね。平成三年に五階建ての自社ビルを建てた借入金の返済も大きく、ひどい資金不足になりました」 しかし、天は自ら助ける者を助けるというが、奮闘している努力家の上野に神様が少しばかり微笑んでくれた。それは、日興証券の子会社・日興商事に顔を出したときだった。仲の良い重役が言った。 「今、この釜飯が売れていてね」。それは、小さなアルミの釜に米、具材、固形燃料がついていてどこでも釜飯が炊けるセットだった。 「ほう・・・・そうですか」 上野は半信半疑だったが、売れているという事実は重い。しかもそのセットはアルミの釜なので、釜だけでも数千円はしそうな代物だ。上野は閃いた。 (これで売れているのなら、瀬戸物の釜でぐんと安くしたらいけるんじゃないか。しかし、固形燃料でうまく炊けるだろうか) 実験の結果は上々だった。早速商品化した。つぎは販売ルートだ。上野は、スタンカップでスーパーなど量販ルートは小企業に不利なことを悟って、通販会社や土産物市場のルートを開拓していた。 「小企業は量販ルートではなく、やはりニッチ(隙間)ルートで勝負すべきです。釜飯セットを見た瞬間、このルートにピッタリの商品だと思いました」 この作戦は的中した。JALUX(旧日航商事)に持ち込んだところ、凄い売れ行きである。確信を深めて、高島屋、阪急百貨店、京王百貨店、千趣会、ハリカ、ニッセンなど通信販売の大手を総なめした。さらに、電子レンジで炊ける釜飯セットを開発し売り上げは一気に三倍になった。最近はこの路線に「和風・煮物シリーズ」を加えてさらに躍進中である。 「おかげさまでここ数年は順調です。しかし、ピンチの三年を忘れずに気を引き締めていかなければと言い聞かせています」 まさにピンチの中にチャンス、順風の中にリスクが潜んでいる。経営者は、常にそれを忘れてはならない。 |
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