(『カードック』04年8月号より)

[社長が決断するとき・第7回
近代経営研究所・代表
中小企業診断士 根 本 寛

苦い東京撤退をクスリに‥‥‥一歩前進の経営体質を実現
   おはなはん・松本章子社長

 
   産業構造転換の嵐が吹き荒れている。ここ二年は、業歴三十年以上の老舗企業の倒産が倒産全体の三割近くになっている。かって無かったことである。転換期には得意先の倒産など突然の突風に翻弄されることも少なくない。そんな困難を乗り切った先達の経験に学ぶことは、リスクマネジメントの面から今こそ必要だ。先達の生々しい経験をお伝えしたい。

■ お好み焼きのブランド
   おはなはん
鰍ィはなはんの松本社長(以下敬称略)は、「生カップお好み焼き」という商品を世に送り出した第一人者である。
 生カップお好み焼きとは、関西で人気のお好み焼きの材料をそっくりカップに詰めた商品だ。客はそれを買って帰れば、後は何も足すこともなしに家庭でプロ級の味のお好み焼きが食べられる。この便利なテイクアウト品を、三十年以上前に商品として始めて世に出したのが松本である。
 松本は、二十歳代で南紀白浜のホテルにお好み焼きの店を出した。それ以来、お好み焼き一筋の人生を歩んできた。現在、社員数一一〇名(パート含む)、白浜本社、和歌山工場、大阪支店、名古屋支店を持ち、年商十億。「おはなはん」は、お好み焼きのブランド品になっている。

■おいしいお好み焼きを食べてもらいたいとテイクアウトを考案
   松本はどうしてこのようなテイクアウト品を開発したのか。それは、お好み焼きの店を出していたときの経験が土台だ。深夜の客が、その旨さに感激して家族に土産として買っていくのを見て松本は考えた。 
 「あの時間ではご家族は寝ているでしょう。翌日冷たくなったのを食べるのは気の毒だなと思ったのです」
 こうして、松本は持ち帰ったらすぐ焼けるお好み焼きのセットを用意するようになつた。これが「お好み焼きの生パック」の原形である。その後、和歌山市に近代設備の工場をつくり、新鮮な厳選素材を使用し、品質管理に力を入れて、おいしいお好み焼きを届けることを使命と考えて生きてきた。
一九八〇年代は、和歌山から大阪に進出し、毎日四時間睡眠で頑張った。それまでに、店に並ぶことのなかった商品だから、自らスーパーの店頭に立って推奨販売をして広めていった。
何しろ毎日四時間睡眠だから、確実に起きるために、目覚まし時計を箪笥の上にセットして寝ていた。それだと止めるために一旦立ち上がるから、再び寝入ってしまうことはない。

■大阪制覇の勢いをかって東京へ進出
   こんな風に、十年頑張った結果、近畿圏は完全に制覇した。余勢をかって名古屋にも進出し、これも安定軌道に乗せた。こうなると、頑張り屋の松本にとって、次なる目標は東京以外にありえない。
 東京には「お好み焼き文化」はない。はたして食べてもらえるだろうかとの疑問はあったが、いままで未知の世界を切り開いてきた松本には恐れはなかった。
「一度、当社のお好み焼きを食べてもらえれば、必ずファンになって貰えると自信をもっていました」
 実際、その自信をもてるだけの品作りの努力を重ねてきた。こうして、努力家の松本は東京に進出して頑張った。しかし、東京での成績は、どうもはかばかしくなかった。そして九年目に思わぬ苦境に立ち一九九九年十二月、とうとう東京を撤退した。

■手形の決済資金が足らない
   それは、撤退一ヶ月前に東京にいた松本にかかってきた一本の電話がきっかけだった。
「社長。月末の手形決済の資金が足りません。どうしましょう」女子の経理担当者は泣きそうな声で訴えた。
「えっ! 黒字経営なのにどうして?」松本はびっくりして言った。
 勉強家の松本は、経営理念など経営方針や戦略にかかわる勉強はずいぶんとしてきた。しかし、経理音痴の松本は、経理面はずっと計理士まかせできた。その結果、「損益計算」と「資金繰りのキャッシュフロー」との違いを明確に理解していなかった。黒字なら資金不足になどなるはずがないと単純に思い込んでいたのだ。そのため、東京営業所が赤字続きでいたことへの危機意識も薄かったのだ。
 東京での成績が今ひとつだった原因は、生産を自社工場ではなく外部委託していたことにある。どうしても原価率が高くなるのだ。また、出店していたマイカルの倒産も足を引っ張った。販売面ではイトーヨーカ堂に入れなかった誤算も大きかった。
 松本は決断した。それは当分黒字の見込めない東京は撤退して、確実な利益の見込める関西に力を集中しようということ。そして、何より、社長として欠かすことの出来ない会計の能力をしっかり身に付けようということであった。

■全社員に頭をさげて謝罪する
   松本が本拠地和歌山に戻って第一にやったことは、全社員の前での謝罪であった。
「社員やパートに平謝りに謝りました。取引先にも、絶対立ち直って見せるから、力を貸してほしいとお願いしました。支払い先には五年間の決算書を公開するという思い切ったこともやりました」
 幸い、多くの協力者の理解を得て、現在順調に黒字経営を続けている。なにより、松本が猛勉強をして、会計に強くなったという成果もある。松本は、経営の原点の数字をはっきりと掴むために、経理の勉強を一からやった。振替伝票を一枚一枚起票するところから実践した。
「今は、試算表もわかるし二、三ヶ月後の資金計画もわかるようになりました。少し遅かったですけどね(笑)」
 出店や新分野進出など攻めの経営に比べて、撤退などの一歩後退は辛いものである。それまで、ちやほやしていた人が急に冷たくなったりもする。
 しかし、経営に風や嵐はつきものだ。また、攻めていればこそ危機にも遭遇する。肝心なのは、その危機に際しての的確な決断力と行動力である。
 松本は、厳しい状況の中でそれを見事に成し遂げた。そして経営力を強くするという形で、むしろ危機を次の成長への足固めにした。
二〇〇一年からは、関東地区のイトーヨーカ堂への納品も始まった。和歌山の工場から直送便で首都圏に入れるのだ。
関東の人間におはなはんのお好み焼きを味わって欲しいという松本の悲願は着実に実を結びつつある。