| (『カードック』04年4月号より) |
| [社長が決断するとき・第3回 |
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二代目若社長が苦い失敗から学んだ勇気ある撤退戦略
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| 産業構造転換の嵐が吹き荒れている。ここ二年は、業歴三十年以上の老舗企業の倒産が倒産全体の三割近くになっている。かって無かったことである。転換期には得意先の倒産など突然の突風に翻弄されることも少なくない。そんな困難を乗り切った先達の経験に学ぶことは、リスクマネジメントの面から今こそ必要だ。先達の生々しい経験をお伝えしたい。 | |
| ■若社長の高い授業料 | |
| 「わしはおまえが失敗することはわかっていた。高い授業料をはらったと思って出直しなさい」 「ハイ……。本当に済みませんでした。これからは心を入れ替えて本業一筋で頑張ります」 平成十三年のことである。意見をしているのは、潟巣rスヤの先代社長で現会長。土下座しているのは、息子である現社長・山岸健一(四五)である。山岸が小さくなるのも無理はない。山岸は平成十二年から十三年にかけて、自分で作った会社を三つも整理する羽目になったのだ。いずれも設立して三〜五年の新会社である。その損失は三社合わせてざっと一億円。確かに安くない授業料である。 |
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| ■先代の枠を超えようと新分野に挑戦 | |
| ヱビスヤは、昭和十年の創業、東京町屋にあるブリキ缶の専門問屋である。山岸は、二代目と書いたが正確には三代目に当たる。 父である二代目の先代社長は、新潟県の出身、婿としてヱビスヤの社長になり、精励刻苦して今日のエビスヤを築いた。現在社員数十五名、売上は約八億。小粒ながら、優良申告法人として税務署から表彰を受ける堅実な老舗である。 山岸は明大を卒業後、会計事務所に勤務し、税理士を目指した。しかし、事務所の閉鎖などもあって方向転換し父の会社に入った。二十六歳のときである。 しかし、押しかけ新社員の山岸に対し、社員の反応は必ずしも温かいものではなかった。そもそも社員の大半は父親が新潟から招きいれた中卒者で、社員というよりお店の奉公人といった感覚で東京育ちで大卒の山岸とは肌が合わなかった。 誰も仕事を教えてくれる者のいないなかで、山岸は営業面を担当した。一年もやると、一斗缶など業務用の分野は需要や取引関係が固定化していて営業したからといって需要が増えるわけでもないことが分かった。 それならと、山岸はファンシー缶と呼ばれる雑貨分野に手を伸ばした。これは試行錯誤はあったが、 ギフトものを中心に徐々に伸びていった。しかし、それは従来からの売上の二割、三割というレベルであり、賞賛を浴びるようなものではなかった。そんな中で六十歳になった父親はすっぱりと山岸に社長を譲った。山岸が三十三歳のときである。 |
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| ■やる気一杯、起業家を目指す | |
| 社長になって四年目の平成七年、製品の組み立てや梱包になどを外注していた下請けが、都合で仕事ができなくなり、山岸は三〇〇坪の工場を借りて倉庫業をスタートさせた。そこで働いていた従業員救済の意味もあった。 続いて翌平成八年には蔵前の問屋街に三〇坪の店舗を借り雑貨の問屋業を開始した。さらに翌年の平成九年には、中国から輸入した備長炭を消臭やインテリア用途などに商品化して卸す会社を興した。これは、やっていた知人が資金面で困っていたので資本参加しオーナーとなったものである。この事業は、取引口座を持っている小さな商社を介してイトーヨーカ堂やダイエーとも取引を開始し、将来の夢もあってまずまずの内容のように見えた。 「その頃私は三十代後半、ヱビスヤを入れると四社の社長となりベンツに乗って各社を巡回していました。いっぱしの青年起業家のつもりで……今思うと恥ずかしいですよ」(山岸) |
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| ■見事に失敗 | |
| しかし、こんな安易な起業がうまくいくほど世間は甘くなかった。平成十二年、備長炭ビジネスで最大の売り先の商社が倒産した。イトーヨーカ堂などの口座を持っていたので付き合っていた会社だ。 この会社は、山岸に接近してきた頃すでに火の車だったらしい。掛け売りをする前にしっかり信用調査をすれば多分避けられた事故だったろう。結局、備長炭事業は、在庫していた商品や包装材、商標権などすべて、備長炭の輸入会社に売却して事業を閉鎖した。 惨めではあったが、この失敗は山岸に取って「苦い良薬」だった。もともと素直で聡明な山岸は、この失敗で目をさました。残りの二つの新事業もそれまで赤字続きだった。しかし、何とかなるだろうという漠然とした希望から、金融機関から借り入れを繰り返し赤字補填をしていたのだ。 山岸は、こんな甘い経営姿勢ではいけない。会社経営をするということは、伸ばす前に潰れない体質を作ることだと深くさとった。 一度会社を興せば様々なしがらみが生まれ、整理することは容易でない。できれば潰したくない。周りからは馬鹿にされ惨めだ。会社を整理することはある意味では会社を興すより決断力がいる。しかし、山岸は清算して一から出直そうと苦い決断をした。結局、残り二つの新事業もその年と翌年にかけて閉鎖した。前述したように、これら三事業での損失は合計で約一億円であった。 |
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| ■失敗をバネに堅実に成長 | |
| それから三年、今のヱビスヤは、山岸の始めた雑貨分野が着実に支持され、売上全体の六〜七割を占めるようになった。この雑貨分野は「ティン・カン・ギャラリー」というブランドとして育てているが、昨年暮れにはコーヒーのスターバックスから受注するなど広く認知されてきた。 今、山岸は、ホームページを活用して積極的な営業を進める一方、社員に経理を公開し意欲を高め、ローコスト経営を徹底するなど体質改善に取り組んでいる。これから大いに期待できる経営者である。 わが国には、先代、先々代から続けてきた一見古臭い商売もある。それらは若い二代目、三代目から見ると古臭く将来性が無いように見えるものもあるだろう。 環境変化に合わせて革新することは確かに大切だ。しかし、古くて本当に価値のないものなのかどうかは、一度本気で取り組んでみないと絶対にわからないということも知るべきである。 また、新しいことに挑戦すれば失敗することもある。人のやることには失敗はつきものだ。失敗がダメなのではなくその後の収拾のしかたが問題なのだ。全国の二代目、三代目の若手経営者は、山岸の勇気ある撤退にぜひ学んでほしい。 (同社のhpはtincan−gallery.co.jp) |
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