(『カードック』04年3月号より)

[社長が決断するとき・第2回
近代経営研究所・代表
中小企業診断士 根 本 寛

   十七年の専属下請けの打切宣告を受けトップメーカーへ根性の挑戦
   駿河精機・鈴木今雄社長

 
   産業構造転換の嵐が吹き荒れている。ここ二年は、業歴三十年以上の老舗企業の倒産が倒産全体の三割近くになっている。かって無かったことである。転換期には得意先の倒産など突然の突風に翻弄されることも少なくない。そんな困難を乗り切った先達の経験に学ぶことは、リスクマネジメントの面から今こそ必要だ。先達の生々しい経験をお伝えしたい。

■忠誠一途の下請を襲った晴天の霹靂
   平成九年のその朝、親会社で ある自動車マフラーの大手・A社社長の呼び出しを受け鈴木はA社に向かった。
 鈴木はいよいよ新工場への移転の打ち合わせかなと期待に胸を膨らませていた。A社が他県に移転することになり、十日ほど前に打診を受けていたたからだ。
 「鈴木さん、今度、工場を移転するんだが、今まで通り協力してもらえるかね」
 「もちろんですよ。実は土地を下見させてもらいましたが、あそこは広いから、敷地の一角を貸してもらえればプレハブを建てて生産しますよ。もし、それがまずければ、トラックを買って一日二便往復で対応します」……とこんなやり取りがあったからだ。
 十七年間、A社の忠実な下請けとしてやってきた鈴木は、相当に厳しい発注条件でも一度も文句を言ったことはない。生産体制を合理化し、自分自身も部下の先頭に立って人の三倍も働いて親会社の注文に応えてきた。その結果、下請けの中でも徐々に頭角を現し、有力工場として認められていた。そんな鈴木だから、取引打ち切りというとんでもない話を聞かされるとは夢にも思っていなかつた。

■二ヵ月後には取引停止の宣告
    A社前の路上での社長との立ち話であった。社長はこともなげに言った。
 「鈴木さん、あんたのところへ仕事を回すのはあと二ヶ月だけだよ。その後は仕事はやらないよ」
 「まさに晴天の霹靂で、脳天をガーンとカチ割られるたようなショックでした。頭が真っ白になりましたよ。それは私だって親会社の業績が良くないことは分かってましたからね。せめてイスに座らせてもらって、『鈴木、うちも仕事が減ってな。悪いけど仕事を回せなくなったよ』とでも言われれば少しは納得もできますが。路上での立ち話ですからね……これが十七年協力してきた者への仕打ちかって、正直、カッと来ましたよ」
 しかし、負けん気で人一倍プライドも高い鈴木は、わかりましたとひとこと言って帰ってきた。
 しかし、平静をよそおって戻ってきたものの、鈴木の頭の中は真っ白で「これからどうすりゃいいんだ」と、それだけがグルグル駆け回るばかりであった。
 それも無理はない。十七歳で上京し、二四歳で独立。四〇歳からの十七年間はA社の下請けオンリーでやってきたからだ。
「そりゃ、下請けですから、いつか親会社から切られる日がくるかも知れない、そうしたら古い体質のマフラー業界にはない斬新な製品を作ってみたいなどと考えてはいましたよ。しかし、仕事が来ればそれをいかにこなすかに集中するのが下請けですからね。はっきり、別な路線を考えるなんてことはしないですよ」

■独立メーカーへの道を決意
 

 眠られない日が続く。しかし、のんびりしている時間はない、仕事が切られるまでの二ヶ月間に次の仕事のめどを立てなければ、せっかく頑張ってきた会社は倒産だ。
 鈴木は、オートショーで集めてきた資料を引っ張り出した。資料の中からマフラーメーカー数社に電話を入れてみた。A社では「これからはマフラーはダメだ」と言っていたが、本当はどうなのかとマーケットリサーチを試みたのだ。数社との情報交換から鈴木は徐々に業界情勢を掴んでいった。
マフラー業界がダメなのではない。PL法の施行など環境が変化し、マフラーはA社のような大手メーカー独占から、多数のメーカーによるシェア争いへと業界構造が変化していることがわかった。
 「これはいける!」、鈴木は心中ひそかにうなずいた。この環境変化はチャンスだ。負けるものか、長年培ってきた技術をもとに独立したメーカーになって見せると決断した。方針が決まれば行動は早い。鈴木は勉強嫌いで中学校しか出ていないが、実社会で鍛えられ、ポイントを見抜く目は野性の狼のように鋭い。


■オンリーワンを目指す経営戦略
 

 まずはどのような顧客層を狙うかである。ほとんどのメーカーは、セダンタイプの「走り屋」に狙いをつけていた。しかし鈴木は、これからはミニバン(ワゴン)が伸びる筈だと考えた。また、後発の弱小メーカーとして同じ土俵で勝負しても勝ち目はない。そこでターゲットをミニバンの客層に絞った。
 つぎに、どのような特長を打ち出すかである。これは迷うことなく、前から構想していた「高品質のカスタムマフラー」にした。そして、「スルガスピード」という高級ブランド構築を目標にした。当然、材質も加工技術も最高を目指し、耐久性はもちろん、人間の感性を心地よく刺激する乾いた品のいいエクゾースト・ノートが出るように設計した。
 さらに、人に良いところを見せたいユーザー心理を考えて、テール(排出口)の形に夢を持たせるべきだと考えた。従来の丸型オンリーから、「楕円型」、「ハート型」、あるいは「ひまわり型」など夢のある形を工夫した。また、取付け時間の短縮を図り「ワンオフマフラー半日仕上」を可能にする作業システムを開発した。
 最後に、今まで下請けできた鈴木に取って一番難しいのは、ダイレクトな顧客獲得である。
 知人がコンビニでカー雑誌を調べろと助言してくれた。宣伝は、そのカー雑誌の広告と、インターネットのホームページを活用した。


■環境変化を踏まえて再生の道を探せ
 

 スタートして六年目の現在、鈴木の戦略は着実に実を結んでいる。月の売上約800万の半分が雑誌広告とホームページによるダイレクトユーザーである。残りの半分はトヨタ、ニッサンなどのディーラー。最近、トヨタカローラ千葉とのコラボレーションで「P・F・S」という最高級品を開発した。これは、デュアルパイプにより低速、中速、高速において、それぞれ別の心地よい音色が出るようにした。
 転換期の今は、鈴木のように突然親会社から取引停止を宣告されたり、生産拠点が移転し仕事がなくなってしまう企業が珍しくない。しかし、長年培った技術と、環境変化を冷静に分析する力があれば再生の道は必ず見つかる。
 「change is chance」……変化はチャンスである。意思を強く持って頑張って頂きたい。