雑誌掲載

文芸春秋(04年3月)

文藝春秋
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君が輝いていたころ

 正月の運動不足を解消しようと、ビッキーとの散歩コースだった寺家町に出かけてみた。暖かく穏やかな良い日和である。
寺家町は、町田市に隣接する横浜市にあり、やと谷戸(やと)と呼ばれる地形の小さな農村である。周囲の小山から滲みだす水で農業が営まれている。その水は汚染されていないため、夏になると蛍が見られる。
その小山の尾根には散歩道がつくられ、春は新緑、秋は紅葉と四季折々の自然に浸ることができる。そんなことから、別名「寺家ふるさと村」と呼ばれ、宅地開発の進むこのあたりでは貴重なオアシスになっている。
一昔前の農村にタイムスリップしたような田園風景の中を歩いていくと、水の無い田んぼで女性がラブラドールと遊んでいる。女性がボールを投げると犬は大喜びで追いかけ飼い主のもとに運んでくる。それを何度も飽きずに繰り返している。
すこし前までは犬と言えばリードをつけて散歩するだけで、一緒に遊ぶ人は少なかったが最近は時々見かけるようになった。犬好きの私としては嬉しい風景である。
犬を飼って楽しいのは一緒に遊べることだ。ただ、私が飼っていたビッキーはボール拾いはしないのでその点は残念だった。ビッキーはイングリッシュ・ビーグルといわれる犬種、日本に多いアメリカン・ビーグルより一回り大きく、おおよそ柴犬くらいの大きさである。
この犬はイギリスでウサギ狩り用に改良された犬である。群れで行動し、茂みに潜むウサギを発見し主人の方に追い出してくるのが役目だ。追い出すだけでウサギに襲い掛かったりはしない。勢子だけに吠え声が大きい。バリトンの美しい声なので、イギリスでは「シンギング・ビーグル」ともいうらしい。
茂みのウサギを追い出すせいか、藪の中を走り回るのは大得意だ。相当に密生した茂みでも重い体重を生かして魚雷のように突進する。柔らかな短毛だがよく傷にならないものだと感嘆させられた。
ビッキーの好きな遊びはかくれんぼだった。ノーリードの状態で「マテ」をして、二十米も離れ素早く木々の陰に隠れる。「コイ!」声をかけるとビッキーは嬉々として走り回りたちまち私を見つけてしまう。そして、親愛の情をこめ十五キロの体重でドスンと体当たりしてくる。本当に勢い良く頭から突っ込んでくるのだ。
こんなふうにノーリードで遊ばせていると、呼んでも戻ってこないと困る。よく逃げ回ってつかまらない犬を見ることがあるが、ビッキーはノーリードに慣れているせいかそんなことはない。おおむねは呼ばれれば戻ってくる。しかし、時にはもっと遊びたがってすぐには来ないときもある。十米も離れていると呼ばれても聞こえない振りをする。
しかし、ビッキーの弱みは食欲が旺盛なことだ。だから、菓子の袋をガサゴソでもすれば五〇米も離れていても全速力で飛んでくる。まったくその本能のストレートな反応には笑ってしまう。だから私はビッキーと散歩するときは、ビッキーのドライフードを一掴みポケットに入れ、「マテ」や「コイ」の訓練に使っていた。  
寺家ふるさと村は、千回も散歩をしたビッキーと私のサンクチュアリである。私は普段は忙しく駆け回り家にいることは多くない。だから週に一、二回、ビッキーと寺家の自然の中を散歩するのは至福の時間であった。
家で机に向かっていると、ビッキーは私の足に体の一部をくっつけて寝ている。私が動いたらすぐに気が付くようにしているのだ。夕方になり、私が「さて」などと言うとさっと顔を上げて私の顔を注視する。一刻も早く散歩に連れていってもらいたいのである。
夕方、私は車にビッキーを乗せ寺家に向かう。車で十分程度の距離である。寺家が見えてくるとビッキーはキューンキューンと甘え鳴きをする。早く降ろしてくれと言うのだ。
突き当たりの溜め池のところまで行ってビッキーを車から降ろす。ドア開けた瞬間、春なら蛙の合唱、夏なら蝉時雨につつまれる。  
寺家では、車に合うことはほとんどなく人にもそれほど出会わない。だから、ビッキーをノーリードにすることができる。
ビッキーは猟犬だけあって、地面の匂いを嗅いで探索するのが大好きだ。その本能の発揮がよほど楽しいらしい。本当にイキイキとしてあたりを嗅ぎまわる。だから、私は他人に迷惑にならない限り出来るだけノーリードにしてあげたいのだ。
寺家には捨てられた野良猫が住んでいる。ビッキーがその匂いを嗅ぎつけると大変だ。突然、エンジンのかかったレーシングカーのように野性が目覚める。身体中に力が漲り、「ウオンウオンウオン」とビーグル独特の吠え声を田園に響かせターボエンジン全開で走り回る。
鼻の位置をでこぼこした地表二センチほどの高さにキープし、猫の残した匂いを追って全速力で右に左にと走り回る。地面の匂いをかいで獲物を探す役目だから、顔を上げては失格なのだろう。
この間、ピンと立てた先の白い尻尾を左右に振り、獲物に近づくにつれて振り方が激しくなる。群れで作業をする猟犬だから仲間にサインを送っているのだ。何という生命の輝きだろう。私はそのイキイキとした本能の発露に陶然と見惚れてしまう。

 人は、通り過ぎた後に幸せだったことに気がつくらしい。ビッキーは三年前に十六歳七ヶ月で黄泉の国へ旅立ってしまった。私は、ビッキーと歩いた寺家の農道を、今日は一人で歩いている。
寺家の自然は美しく、何一つ変わっていない筈なのに、私にはその輝きが鈍くなったように感じられてならない。

犬のいる人生・犬のいる暮らし
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